愛しい貴女に
2005年2月17日加工中
加工中
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あぁ〜あ。本題の前に余計なものを書いてしまいました。
他人の愚痴なんて相当物見高い人以外には不愉快なだけのはずなのに。
愚痴好きで興味のある方以外は青文字の一行が始まるまで飛ばしてください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いとしきせかいよ
すうこうなるたましいよ
わたしたちをてらすきぼうのひかりよ
不浄なる堕落せし我が知性に束の間の安らぎを。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と、毒を吐くのはこのくらいにしておいて。
あ〜・・・。その、なんですか。
まさか、そのこと自体に気づいてない人とか
いないですよね?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あなたが知らないことは罪ではありません。
あなたが何もできないことはあなたの罪ではありません。
あなたが自らの存在の継続のために他者を貪り食い、煉獄に突き落とし、誰かを冤罪に苛まれる苦境に立たせたとしても、それはあなたの罪ではありません。
無知よ
無力よ
愚かな存在よ。
対極なりしあるがままの無垢な煌きよ。
わが身の罪深き。
ただ一人、「我」なる意識の傲慢さよ。
そう、自らがそうあるときだけ、それは怨敵。
怠惰なる自我の息吹に溺れる事のなきよう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
えと、愚痴っぽくてすいません。
なんかリンクをジグザグにたどってたら惨憺たる気分に。
わたしの(((自主規制)))かhfgくぁh?
ダメダメじゃんw
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
愛する人がいたとして、わたしはその人のために何ができるのだろう?
という趣旨のことを移動中などのふとした時間にずっと考えていて、
ちょっとひとまとまりになりそうだったのでここに書こうかな、
なんて思ったんですけど、
ネットを散歩して帰ってきたら、
今日のところは中心部分への言及は保留することにしてしまっていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
でも、周辺部分は書きたいのでやっぱ書きます。
この前久し振りに会ったある人物の印象が、
以前とだいぶ変わっていたことにとても驚きました。
実際話した内容は結構世間話(の枠に入るかは微妙かも)だったのだけど、
なぜか言の葉や仕草に心惹かれてしまって、
ほんわか「ゆかし」(もちろん古語)な気持ちになってみたり。
できたら共有できる時間を持ってみたいなぁ、なんて。
恋とか呼べるほどご立派なものじゃないんだけどね。
そんなこんなで、たまにはちょっとそういう方向性(?)で
自分を見つめなおしていたら出てきたテーマが
愛する人がいたとして、〜
なわけで。
向上心が刺激されて少しすがすがしい気分。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし、行く川の流れは絶えずして。
結局愛しい誰か、なんて乙女チックな響きから離れて。
わたしが現実に取り組む問題はいかつい「ドイツ語」
なんだからお笑い種。
だってさ、恩人たちに
負い目感じたまま
未来みらいなんて、言ってられないもんね。
少しくらい、過去の清算のために時間を費やし始めないとね。
あぁ〜あ。
明朝目が覚めたら突然ドイツ語思い出していたらいいのに。
まさか、閉ざさなきゃいけない幼少期の記憶なんてあるはずもないし。
・・・閉ざしたい記憶はいっぱいあるけどね。
加工中
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あぁ〜あ。本題の前に余計なものを書いてしまいました。
他人の愚痴なんて相当物見高い人以外には不愉快なだけのはずなのに。
愚痴好きで興味のある方以外は青文字の一行が始まるまで飛ばしてください。
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いとしきせかいよ
すうこうなるたましいよ
わたしたちをてらすきぼうのひかりよ
不浄なる堕落せし我が知性に束の間の安らぎを。
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と、毒を吐くのはこのくらいにしておいて。
あ〜・・・。その、なんですか。
まさか、そのこと自体に気づいてない人とか
いないですよね?
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あなたが知らないことは罪ではありません。
あなたが何もできないことはあなたの罪ではありません。
あなたが自らの存在の継続のために他者を貪り食い、煉獄に突き落とし、誰かを冤罪に苛まれる苦境に立たせたとしても、それはあなたの罪ではありません。
無知よ
無力よ
愚かな存在よ。
対極なりしあるがままの無垢な煌きよ。
わが身の罪深き。
ただ一人、「我」なる意識の傲慢さよ。
そう、自らがそうあるときだけ、それは怨敵。
怠惰なる自我の息吹に溺れる事のなきよう。
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えと、愚痴っぽくてすいません。
なんかリンクをジグザグにたどってたら惨憺たる気分に。
わたしの(((自主規制)))かhfgくぁh?
ダメダメじゃんw
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愛する人がいたとして、わたしはその人のために何ができるのだろう?
という趣旨のことを移動中などのふとした時間にずっと考えていて、
ちょっとひとまとまりになりそうだったのでここに書こうかな、
なんて思ったんですけど、
ネットを散歩して帰ってきたら、
今日のところは中心部分への言及は保留することにしてしまっていました。
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でも、周辺部分は書きたいのでやっぱ書きます。
この前久し振りに会ったある人物の印象が、
以前とだいぶ変わっていたことにとても驚きました。
実際話した内容は結構世間話(の枠に入るかは微妙かも)だったのだけど、
なぜか言の葉や仕草に心惹かれてしまって、
ほんわか「ゆかし」(もちろん古語)な気持ちになってみたり。
できたら共有できる時間を持ってみたいなぁ、なんて。
恋とか呼べるほどご立派なものじゃないんだけどね。
そんなこんなで、たまにはちょっとそういう方向性(?)で
自分を見つめなおしていたら出てきたテーマが
愛する人がいたとして、〜
なわけで。
向上心が刺激されて少しすがすがしい気分。
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しかし、行く川の流れは絶えずして。
結局愛しい誰か、なんて乙女チックな響きから離れて。
わたしが現実に取り組む問題はいかつい「ドイツ語」
なんだからお笑い種。
だってさ、恩人たちに
負い目感じたまま
未来みらいなんて、言ってられないもんね。
少しくらい、過去の清算のために時間を費やし始めないとね。
あぁ〜あ。
明朝目が覚めたら突然ドイツ語思い出していたらいいのに。
まさか、閉ざさなきゃいけない幼少期の記憶なんてあるはずもないし。
・・・閉ざしたい記憶はいっぱいあるけどね。
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