どーも。
今日も日本は平和ですね。
平和すぎて防衛力とかもいらないらしいですよ?
幸せな時代の幸せな場所に生まれたものです。
・・・例え、
個々人が生活の危機に直面しているとしてもね。
さてさて。
W杯も終わり、
われ等が(笑)ドイツも
「決勝は逃したものの、ようやく東西統合が
地力に繋がってきたかなー」、って印象です。
将来は朝鮮半島もああなるんでしょうか?
いやー、80年代に冷戦終結の話をしたときくらい
とっても夢見心地ですが。
そんな感じで先日も平和を謳歌する中学生の
個人指導をしていたのですが、
『なんで勉強しなきゃいけないのかわからない』とか
深く考えもせず教育の意義に疑問を投げ抱えてくれたので
(勿論その場でじっくり説明しましたが)
遠距離レスでも付けとこうかなー、ってのが今日のテーマ。
日常に置いてやり取りをするときに、
ボクタチは前提とする能力や知識、マナーとかっていうものが
結構あります。
例えば、最低限の時事問題抑えてるとか、
算数の基本が出来るとか、
・・・共通の言語でしゃべるとか。
(一応断っとくと、片方日本語で片方英語でも会話は出来ますが、やってみると結構キモチワルイです。単純に相手の発言を引用するときにグチャる危険性高いですし。)
そういった経緯を踏まえ、
各段階での教育の主眼(学ぶ内容)をまとめてみました。
幼稚園:自・他の存在を認識と、最低限のやりとりの習得。
小学校:最低限の読み書き(算数含む)と、マナーの習得。
中学校:最低限の論理と、ある程度の感情の処理の習得。
高校 :与えられた情報の理解と基本的な実行力の習得。
大学 :複雑な情報の、解釈を伴う理解とその再発信能力の習得。
社会人:以上を用いた円滑なコミュニケーションと、
その能力が不完全な人間(自他含む)と折り合いを付けていく能力の習得
(特に子供に対しては、無知を責めず適宜支援するのが望ましい)
こんな感じじゃないでしょうか。
学校で習った内容をちゃんと思い出すとこれに結びつくと思います。
まだ実際に教育を受けている人も、自分の状況をみるとこんな感じがしませんか?
例えば、大学ではあまり組織的指導が得られなかったりしますが、実際にはサークルやゼミなどの関係の中で情報の解釈や発信を求められるわけです。
他にも、「大学受験は何がやりたいのかわからない」なんて人もいますが、あれは基本的な記憶容量と、情報処理能力の審査ですね。だからこそ、受身な内容が中心なわけでして。
実際、推薦などの例外を除けば、東大や京大も含めて(最近は)そういう問題の構成になってます。基本的には、知識があり、マニュアルを抑えてれば解けますし、それは、受け手としての能力の審査という点では理に適っています。ただし、知識量や処理能力のキャパシティはそれなりのものを要求しますけど。
この方針を押さえれば、日本の教育の仕組みにも
育てたい人物像を含め、それなりに納得できるかと思います。
言うまでもなく、正しいか、妥当かは別問題ですが。
今日も日本は平和ですね。
平和すぎて防衛力とかもいらないらしいですよ?
幸せな時代の幸せな場所に生まれたものです。
・・・例え、
個々人が生活の危機に直面しているとしてもね。
さてさて。
W杯も終わり、
われ等が(笑)ドイツも
「決勝は逃したものの、ようやく東西統合が
地力に繋がってきたかなー」、って印象です。
将来は朝鮮半島もああなるんでしょうか?
いやー、80年代に冷戦終結の話をしたときくらい
とっても夢見心地ですが。
そんな感じで先日も平和を謳歌する中学生の
個人指導をしていたのですが、
『なんで勉強しなきゃいけないのかわからない』とか
深く考えもせず教育の意義に疑問を投げ抱えてくれたので
(勿論その場でじっくり説明しましたが)
遠距離レスでも付けとこうかなー、ってのが今日のテーマ。
日常に置いてやり取りをするときに、
ボクタチは前提とする能力や知識、マナーとかっていうものが
結構あります。
例えば、最低限の時事問題抑えてるとか、
算数の基本が出来るとか、
・・・共通の言語でしゃべるとか。
(一応断っとくと、片方日本語で片方英語でも会話は出来ますが、やってみると結構キモチワルイです。単純に相手の発言を引用するときにグチャる危険性高いですし。)
そういった経緯を踏まえ、
各段階での教育の主眼(学ぶ内容)をまとめてみました。
幼稚園:自・他の存在を認識と、最低限のやりとりの習得。
小学校:最低限の読み書き(算数含む)と、マナーの習得。
中学校:最低限の論理と、ある程度の感情の処理の習得。
高校 :与えられた情報の理解と基本的な実行力の習得。
大学 :複雑な情報の、解釈を伴う理解とその再発信能力の習得。
社会人:以上を用いた円滑なコミュニケーションと、
その能力が不完全な人間(自他含む)と折り合いを付けていく能力の習得
(特に子供に対しては、無知を責めず適宜支援するのが望ましい)
こんな感じじゃないでしょうか。
学校で習った内容をちゃんと思い出すとこれに結びつくと思います。
まだ実際に教育を受けている人も、自分の状況をみるとこんな感じがしませんか?
例えば、大学ではあまり組織的指導が得られなかったりしますが、実際にはサークルやゼミなどの関係の中で情報の解釈や発信を求められるわけです。
他にも、「大学受験は何がやりたいのかわからない」なんて人もいますが、あれは基本的な記憶容量と、情報処理能力の審査ですね。だからこそ、受身な内容が中心なわけでして。
実際、推薦などの例外を除けば、東大や京大も含めて(最近は)そういう問題の構成になってます。基本的には、知識があり、マニュアルを抑えてれば解けますし、それは、受け手としての能力の審査という点では理に適っています。ただし、知識量や処理能力のキャパシティはそれなりのものを要求しますけど。
この方針を押さえれば、日本の教育の仕組みにも
育てたい人物像を含め、それなりに納得できるかと思います。
言うまでもなく、正しいか、妥当かは別問題ですが。
コメント
>(特に子供に対しては、無知を責めず適宜支援するのが望ましい)
無知を責めずに支援していくのは社会人こそが最も重要だと思うね。折り合いをつける能力は入社数年まで。最後まで要るけど、そこまで重要じゃない。
その人が自ら育とうと思うように、育てあげる能力を持ってる人は大きな仕事ができるんじゃないかな。
マジレス失礼。